旅日記B ツーソンミネラルショー
CASA GLANDE  TUCSON MINERAL SHOW  
2000年2月5日

カーサグランデでの第一夜
ローカルなスーパーマーケット「フードシティ」で買い物と夕食の後、宿に戻り、入浴。
出国直前まで日向にまだ授乳していたので、搾乳という作業がある。
眠たいなか、搾乳するといっぱい出る。
はー、日向はまだこんなに飲んでいたのか・・・どうしてるかなあ。
などと思いつつ、爆睡。時差ぼけでかなりきつい夜だった。

夜中の3時ごろに目覚めてしまった。
モーテルのベッドのなかで夜明けを待つ。
やたらおなかがすいてくる。
前夜買出しした朝食用の食料を食べてしまおうかとも思ったけれど、
それは車のトランクの中(冷蔵庫がわりに)。
夜中にひとり外にでていく勇気もなく、耐える。
昼は半袖姿で暑いくらいだったけれど夜はかなり冷え込む。
部屋には旧型の暖房機があった。
ごうごうと音をたてて部屋をあたためてくれていた。

明け方、ひとり外に出てみる。
ロイヤルブルーの空にまだすこし星が輝いていた。
モーテルの部屋の前のパーキングロットから朝焼けに染まってゆく空を眺めた。
乾いて冷えた空気がとても気持ちがよい。
さあて、きょうは いよいよ 夢のミネラルショーに乗り込むのだ。

陽子ちゃん、るりが起きてきて朝食にする。
まるごとのレタスを水道で洗って、ハムとチーズなどをパンにはさんでサンドイッチ・・・のはずが
なぜかパンがない。昨日のフードシティというスーパーのバンズ6個入り。
どこにもない。
仕方がないので、ハムやチーズをレタスで巻いて、むしゃむしゃとワイルドに済ませる。
パンはどこにいってしまったのか結局謎だった。

チェックアウト。モーテルのおじさんとおばさんは、今夜の宿はどうするのかと尋ねてくれる。
ツーソンでのミネラルショーには3日は通う予定でもあり、ここから通うにはやや遠い。
もうすこしツーソン寄りで宿を探してみることにして出かける。
おばさんたちは、「もし見つからなかったら
お昼くらいまでに電話してね部屋とっておいてあげるから・・・」と言ってくれる。

ツーソンへは国道をまっしぐらに南だ。

ダイナミックな太陽が照りつけるなか、ツーソンへ到着。

思ったより都会で町も大きく、そしてやたらとたくさんショーの会場がある。
巨大なテントや、街道ぞいのモーテルや、コンベンションセンターなどなんとぜんぶで26箇所で催されているそうだ。
それぞれ、基準が違うがバイヤー用のレジストレーションの手続きどもあり(厳しいところやノーチェックもありいろいろ)
会場もそれぞれひとつが回りきれないくらい広い。
あまりの規模の巨大さに呆然としている間に、半日がすぎてしまった。
そしてやたら暑い。
昼間の太陽はもうやたらにするどい光で、肌をじりじりと焦がす。

この日、これは滞在3日ではぜんぜん歯がたたないだろう・・・
ということだけは わかった。下調べもほとんどしていなかったし。
これは直感でいくしかない。。。(わたしはいつもこれだけど)。
石の買い付けなんて、直感だけが頼りみたいなとこもあるからね。

まあ初めてにしてはそれなりに充実した買い付けが進み、あっという間に日が暮れてしまった。
おなかをすかせたまま宿探しへ。
ツーソンから北へたった1本の国道を戻りつつ、探してみることにする。
いくつまわったかな・・・町らしきものがあるたびにハイウェイを降りて探すがことごとく満室。
ショーのすごさがうかがわれる。
降りた町々で道に迷い、さすらい、腹をすかせた3人は結局カーサグランデへ戻ることになる。
(カーサグランデまで100キロくらいあるんだよ!迷ったぶんもあわせたらもっと!)
さーて、結局予約の電話をしないまま、頼るところはここばかりと戻ってきてしまったアリゾナモーテル。
が、時刻は11時。オフィスのライトは消え、クローズドのサインだけが光っている。
(モーテルでは普通、ホテルのように夜通しフロントがオープンしてるってことはないのです)
そしてなんとここにも「NO VACANCY(空き室なし)」のネオンサイン。

さすがに疲れ果てていたわたしたちは、いたしかたなく、オフィスのブザーをならした。遠慮がちに、でも強引に・・・
おじさんとおばさんは、いい人だった。
「うちも満室になっちゃったんだよー・・・だから昼に電話しなさいよって言ったでしょー。」
なんて言いつつ、宿無しの私たちのために、オフィスからいろいろ電話などをして別の宿を紹介&予約までしてくれた。
ツーソンのショーのときは100キロも離れたこーんな田舎町の、こーんな、と言っては悪いが
さびれたモーテルでも満室になっちゃうんだなあ。すごいなあー。
そんなことを思いながらも
人なつこいおじさんとおばさんとおしゃべりをしていると
たしか5年くらい前に日本から5人ぐみのロックグループが来てうちの宿に泊まったんだよーとか言っている。
たしか・・・「SINGO」とか。。。グループの名前は「ス・・・ス・・・」「SMAP!!?」

ほんとにスマップが泊まったらしいのだ。ラスベガスかなんかで路上ライブをやったことがあったらしく
そのときに、ここに来て、宿泊したらしい。
そのことが後日、日本の何かの雑誌(おじさんは SHINBUN と言ってたけど)に出て、ここも記事になったんだよとか。
その後グルーピーの日本人の女の子が来て、おじさんとおばさんは彼らがビッグネームだったことを知ったらしい。

ふふふ、そこで私たちはすかさず予約したのでした。
翌日の宿を、ここに。このさびれた、どのモーテルよりも安い、「アリゾナモーテル」の7号室。
それも特別にお願いして、5年前に彼らが泊まったという部屋にしてもらったのでした。
(いやいや、ただのミーハーみたいじゃん。まあ、そうだけど)

おじさんたちが紹介してくれたホテルは、ちかくのスポーツクラブに併設のホテルで
「フランシスコ・グランデ」という名前の、ちょっぴり高級なところだった。
部屋も広く、きれいで、近代的。でも値段はリーズナブル。
が、しかし時は深夜12時。結局夕食を食べそびれ、リュックのなかにあった
マルチャンシュリンプフレーバー 要するにカップラーメンを備え付けのコーヒーメーカーで入れて
すすり、またもや崩れるように睡眠したのでした。

つづく