ターコイズハウスでのコース2日目。
オーラソーマの学びのなかでわたしが好きなパートが
「色の言語」そしてこの「生命の木」。
マスターシークエンスが終わり今日から生命の木のワーク。わくわく(駄洒落)
自分がレベル3を受けたときのことを思い出す・・。
実はわたしは自分がレベル3を受講したのがマウイだったのだ。
準備ができるまでずいぶんかかったなあ・・・。
レベル1を受けるまでも数年オーラソーマを傍目から眺めている状態が続いた。
友人から、ねえオーラソーマをやってみたいんだけどどう思う??なんて相談されて
うん、いいんじゃない?やりなよ〜なんて心から薦めていながらも、
自分が学ぼうなんて気はさらさらなかった・・・(笑)。
そして数年が過ぎた。
そして出産。実はわたしはこの出産を経て突然、オーラソーマをやりたくなったのだ。
普通ね・・子供が大きくなったら学ぶチャンスが来るだろう・・って
子育て中のお母さんは言うよね。そして自分の学びは後回しにするよね。
でもなぜかわたしは逆・・・。
初めて生んだ娘(それもシングルで)とナディアの仕事を抱え睡眠不足になりながらも、
わたしは何かすごいことを感じている気がしてた。
「愛する」という感じといえば大げさか・・・?
でもそうなの。
これまでもそれなりに恋愛などを経験してきてたし、大好きな仲間もいたし、
愛するとか愛されるとか、充分体験してきたと思ってた。ずっと。
でも・・子供を産んでみてびっくりした。
もっと生理的な、根本的な、身体の根っこのほうからくるようなエネルギーのような
「愛」みたいなもの・・。
これって初体験!まったく見返りがないというか見返りがあるとかないとかいう感覚すらない。
幸せのただそのもの・・・。
ただ愛しても愛してもなくならないエネルギー。
これはこれはすごいわ〜と自分で驚くくらい。
「・・・・。?・・・と いうことは・・わたしがいままで体験してきたのは・・何?」
そして同時にチャレンジもあった。
子供は全身で自分を必要としている、と生後数ヶ月の子供を抱きながら感じる。
「わたしは・・・これまで自分をどこかで安全な場所に避難させたまま生きてきたかもしれない・・・
ちょっとだけ自分をずらしたところで、体当たりしていたような・・・。
でも、子供を育てる・・てことはなんだかそういう小細工が通用しないレベルのことのようだぞ?・・・。
そろそろ、本腰を入れて、「愛」に避難とかコントロールとか条件とかなしで、体当たりしていくときなのかもしれない・・・。ということは、本格的に全身全霊を使って生きることが必要だぞ・・」
いまのボキャブラリで説明するとそんな感じだろうか。
そして、いままで好きすぎてなんだか遠ざけておきたくて、
疑心暗鬼になっていた色のワークにちょっぴり足を踏み入れることにしたんだ・・・。
きっと潜在意識のどこかで、これははまるとヤバいことになりそうだぞ・・と感じていたのかもね。
これを始めちゃったらもう逃げ隠れできないぞ・・・体当たりで生きるしかなくなるぞ〜と。
子供連れでのコースを許されるのかどうか、
当時のティーチヤーとオーガナイザーの人に相談してみた。
なんと、生後半年のわが娘を連れてのコース参加を許された。
これもとてもラッキーだったと思う。ティーチヤーやオーガナイザーの人たちの
チャレンジでもあったと思う。
彼らの思いに感謝する・・
わたしは、まだふやふやでおっぱいと眠りとおしっこうんちを繰り返す日向をつれて
コースの6日間東京に通った。
瞑想のときはおっぱいを吸わせて黙らせる(笑)。日向はすごいことにタイミングよく、
静かにするときには静かにしてくれて、コースにある程度集中することができた。
そしてそんなまだ言葉もしゃべれない日向さえもひとりの参加者、コースを創造するひとつのパートとして受け入れてもらった。
オーラソーマは面白かった。
毎日聞くことのすべてがわくわくする内容で、楽しく思っていた以上の内容に驚きもした。
でも・・実は正直なところではまだここで一生涯やっていくぞというような決意には結びつかなかった。
実はわたしはオーラソーマに関してはスロースターターだったんです。
次のレベル2を受けるまでになんと1年以上もブランクがあった。
そして1年以上経ったあとの、次のレベル2・・もちろん面白かった。
一番覚えているのは、あるボトルをあるワークで受け取ったときに
自分で驚くような涙がいっぱいあふれたこと。
ボトルはB86オベロンだった。ありありと覚えている。
わたしにはヴィジョンがあるんだ・・と自分でシェアしながら、わんわん泣いたのを覚えている。
地上に天国を降ろしたいってなんだかすごい言葉なんだけど、
理想とする関係性が繋がって創造される社会のようなもの(ターコイズの世界)を渇望していることを、ダムを決壊させたかのような膨大な涙を流している自分を見て初めて気づいた。
自分のなかにこのことを通してこんなに熱い思いがあったのか・・って。
そして・・次のアドバンスもなんとなく出たいなあ・・と思った。
東京のコースも美しかったし、名古屋でのコースも、それなりに楽しかった。
毎日名古屋に友達が増えて、食べ歩きしたり、誰かと語り明かしたり・・。
でも・・次のレベル3でオーラソーマの学びに一区切りが着くのなら・・
(当時ティーチヤーになろうかな、なんて気は微塵も無かったからね!)
最後のコースはできたらハワイで受けたいなあ・・・。
自分のティーチャーだったアマリンに相談した。
わたしの一番好きな島マウイについて話すとなんとアマリンも昔マウイにいたことがあって懐かしくて盛り上がって、じゃあ「レベル3のコースはマウイでやろうよ!わたしがひとを集めるから!」なんてことで、自分が受講するコースを自分がマウイで受けたいがために、自分で企画&オーガナイズすることいなったのだ。
そう、そして翌年・・ここマウイでコースを行った。わたしはオーガナイズ兼生徒。
そしてマウイでのレベル3で生命の木をやって・・鳥肌の連続だった。
できあがった生命の木を見て、口がぽかん・・・唖然。
こんな凄いものが物質化しちゃっていいのか??
物質界にこんな凄いものを実現させてしまっていいのか?ってなぜかきょろきょろしちゃうくらい・・。
とにかくその美しさとそこにあるエネルギーに驚いたのだ。
もちろん、深い瞑想や多様な人生経験をしているティーチャーや仲間たちからのシェアもあってのことだけれど・・でもなんだか、
「教えや、教本や、チャネリングみたいなもののなかに在るのでなく、物質次元で目に見える形として、こんなに綺麗で生きたものが存在する」ということに感動した。
足元をすくわれるというか目からうろこが落ちるというか・・・。
物質のなかでもエネルギーは生きることができるんだ!それも物質次元だからこそこんなにも美しく・・・!!!!視覚化されそしてまわりの人と共有できる・・。
あ、そうか・・これはひとつの「天国を地上に降ろす」作業だったんだ・・
(これはいまの気づき)
マウイでの感動。そしてそれから数年が経ち、いまここで今度は自分がティーチャーとして、同じレベル3コースに参加している。そして不思議なことに、自分が生徒としてマウイでコース中に幾度も選んでいたボトル(B45とB75)を今回の参加者の人の多くが選んでいるの!
あまりにも45番のボトルがぴかぴか毎日光って光って、帰りにアマリンに頼んで、どうしても欲しいからとコース用の45番のボトルを譲ってもらったくらいだったのだ。
繋がっている。
まるでタロットの「リターン・ジャーニー」だ。
帰ってくる旅においては、同じ場面でこんどは自分自身が奉仕することによって、「何を得ていたのかがわかる」、という認識。
この実践版をまさに自分がやってるわけだ・・。
繋がっている。
きょう長い長いメールが、5月のレベル1参加者であり、いまでは友人であるNNちゃんから届いた。
5月のレベル1の打ち上げ以降、ほとんど直接会話することも時間を共有することもなかったのではあるけれど、時々気づいたことをメールでやりとりする。
久々のメールだった。
わたしの日記を読み、また自分自身の仕事や日々の体験を通して加速する気づきとのシンクロ二シティを感じて、自分の身の回りで起きたこと、感じていること、気づいたことなどをいまの精一杯でつづってくれたメールだった。
書いたそばから過去になり、それは古い自分であり、
過去をシェアするのが忍びなくてまた夜を越し・・その書いたものからまた新しい気づきがどんどんやってくるので葛藤する・・そう、わたしがこの日記のなかで、コースで起きたことをうまく書き表せないことに葛藤しているのと同じことを彼女も感じていた。
そして感じながらも、たぶん彼女の精一杯のいまを伝えてくれるメールを送ってくれた。
そう・・このメールが今日ここで届いていることにも驚く・・。
22・・・再生のボトル。きょうちょうどみんなでワークしていたボトルだったんだ・・・。
そしてそれをシェアしている最中・・・
コースをやっている部屋の窓から大きな大きな虹が見えてみんなで外に躍り出た。
見たこともないような巨大なアーチの虹だった。
それがずうっと日が暮れるまで、空に残っていた。
わたしたちのワークが終わるまでずっと・・・。
22・・・死そして再生
日が沈み、日が昇る・・5番のボトルのペールバージョン・・・。
そして愚者。
(レベル3経験者じゃないとわかりにくい表現でごめんなさい!)
自分のなかでここでタロットやボトルや生命の木についてシェアしながら新しい発見が起きていた。
なぜ22番が再生者なのか・・・??やっと腑に落ちた。
そこで・・・シェアだ。
コースを終え部屋に帰るとそのNNちゃんからの長文のメール・・・。
長々と基本的に自分に起きたことを書いてくれているだけなのだけれど、それが見事に
今日のわたしへのメッセージになっているんだ。
確認のように。
え??誰か見てたの?くらいな絶妙なタイミング・・・。
繋がっている。言葉にしてしまうと陳腐だけれど。
幸島のお猿さん!ありがとうよ〜〜(笑:意味不明?)
夜には初級コースを終えて日本に戻り、初仕事を終えた青戸さんから
お礼の電話がかかった。本当にマウイに行ってコースを受けてよかったよ・・と、つくづく思うよって。
国際電話(北海道〜マウイ)にも関わらずの長電話でいろいろなことを話す。
「コースの初日に感じた、自分のなかにいた茶色い子(インナーチャイルドかな?なんてコースのなかでフォーカスしていたのだけれど)、どこへ行ったと思う??
日本に帰って箱根の温泉に入って湯上りに感じてみたら、なんと自分と同じ大きさになってたんだよ!」と電話口で話してくれた。
すごくそれってメデタイ!ってわたしまで嬉しくなってしまった。
等身大の自分になっちゃったって感覚・・いいよね。それって、インナーチャイルドに何かしてあげなくちゃいけないとかコミュニケーションしなきゃいけないとかじゃないもんね。ただ自分であればいいって感覚だもんね。じゃ〜もうあとは自分の好きなことをやるだけだね!おめでとう。
さらに帰りの飛行機を乗り換えるホノルルの空港で、見事なダブルレインボウを見たそうだ。
空も祝福してくれたんだね!
オーラソーマのワークはもちろん楽しいことだけじゃなかったと思う。
熱出す人もいれば、頭いたくなったり、逃げ出したい現実を見ることもある、
笑いすぎでおなかがいたくなったり、感謝の涙でいっぱいになったり、
もしくは何も感じなくて感じない自分を感じたりするチャレンジをする人もいる・・・
ひとりひとりもきっと表現されきれないいろんな感覚を持っているのだと思う。
こうして、同じターコイズ色のお家で、食べて、眠って、一緒に瞑想して、
学んで、シェアして・・・それでもきっとわたしの瞳に映っているその人は
その人のなかのわたしに映し出されている氷山の一片に過ぎないのだろう。
もっともっと見えないところに、きっと わたしの知らないその人が居る。
それはどんなに親しくても。
親子でも。
夫婦でも・・・。
深いシェアをともにする、学びの友だとしても。
互いに幻想のなかのその人に出会っているだけなのだろう。
鏡に映った自分の一部を見ているだけなのだろう。
・・・だとしても・・・!
こうして遠くからメールをもらったり、実際にその人の声を聞くと嬉しい。
声を通して、語られていない言葉までもが聞こえてくる気がする。
たとえ幻想だとしても。
伝えてくれようとする思いが伝わってくる。
優しさや愛が伝わってくる。
そして・・
このフィーリングはわたしのなかに確かにある!これは真実だ!
この真実が誰をも説得したり影響を与えたりしなかったとしても。
ここにあるあったかな気持ちや感謝は 実際に わたしのなかにある。
この感覚の真実。
月がぽ〜んと真っ暗な夜空に投げられている。
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