宮崎 (1) るりちゃんとの出会い

先週まで 宮崎でのコースだった。

主催者である、るりちゃんとは18歳のときからの縁だから、う〜ん かれこれ20年!!??
宮崎でのコースも、何回目なんだろうと数えてみた。 レベル1から3まであわせて、たぶん合計8回目。

コースのときは少なくとも8泊から2週間くらい滞在するし、コース以外でもセッションだけのために 行っていたときもあるから、平均すると1年のうち1ヶ月以上は宮崎に居たことになる。
毎回食べ歩きや観光もするから、もしかしたら、横浜近辺より詳しいかもしれない。
縁のある場所なのだろうなあ。

るりちゃんとは大学時代からの友人。青山の、都会的な「キレイなお姉さんたち」がたくさんいるキャンパスで、 2人ともあきらかに「浮いていた」。
学科もクラスも違ったので、学食や図書館で互いに見かけるくらいだったのだけど、 話しかけることもせず、どちらかといえば互いに怪しがって警戒していた。
青山キャンパスに、あんな不似合いな「怪しい感じの人がいる・・・」と 自分を棚にあげて:笑。

でも運命の出会いが起こる。
専攻科目で「美術」を選んだ私は、最初の授業の日、美術室に足を踏み入れて心を奪われる。
無彩色の無機的なキャンパスの一角とは思えない、異空間だった。
壁や天井は抜かれて梁ごとすべて優しいピンク色に塗られていた。
床も無垢の木で柔らかくて絵具が飛び散っていたりして、自然な模様を作り出し ジャングルのように大きな木や観葉植物がたくさんで、温室のよう。
大きな鏡が張られていたり、一流のデザイナーたちの個性的な「椅子」がオブジェのように並んでいたりした。

いっぺんで この空間に惹きつけられた。
「人生で必要なことはみんなディズニーランドから学んだ」とかいう本をるりちゃんの友人が出版しているらしいが、 私の場合、「人生で必要なことはみんな美術室で学んだ」・・・?というくらい、ここでいろんなことが起きた。

まずはこの美術の講師をしていた掛井五郎氏との出会いの衝撃。
イッセイミヤケの長いガウンのようなジャケットと、鮮やかな色のストールをくたくたに着崩したような 年配の男性が部屋に入ってきたと思ったら、意味不明のつぶやきのような怒鳴りのような声で話し出す。

いっぺんで彼から目が離せなくなった。
美術室に入るたびに目から鱗。18歳の私にとって胸が高鳴ってとまらないような体験を次々とさせてくれた。

掛井五郎氏の魅力に惹きつけられ、その空気に触れていたくて、つい授業のあともだらだらと残ってしまう4人の女子生徒。そのなかにるりちゃんもいたのだった。
なにかと美術室に居残る私たちを、「4にんぐみの魔女たち」と掛井氏は私たちを呼び始めて、 普通の女子大生の道から外れさせるような(?)課外授業をさせてくれるようになった。

超一流のあかちょうちんのカウンターや、フランス料理屋さんで食べる見たこともない料理やそのオーナーたちとの会話や、美味しいワインや、他の授業をさぼっていく美術館、秋の町の探索。夜遊び。
アトリエでの製作現場など。
授業も面白かった。蟹を山盛り茹でて、真っ赤に染まって湯気いっぱいの蟹を「さあ描け!」!
すばやくデッサンしたと思ったら、「さあ!いただこう!」と蟹を食べながら日本酒まで出てきて酔っ払ったりと。
(あ、未成年か? もう時効だよね)、
素敵な大人の人と会える、個展のレセプションパーティなどもわくわくする体験だった。

「とにかく一流のものに触れなさい」「小さい人間にまとまってはいけない」と教えられた気がする。
印象に残っているのは、親孝行について。
親を困らせなさい!すねはかじれるうちにかじりなさい!やりたいことを我慢したり、自分に投資することを惜しむな・・・。所詮、君たちは親のすねをかじって生きているんだから、一人前に変な遠慮なんかするんじゃない。
本当の親孝行は、「親を超えること」なんだ。 親に遠慮して、親の許容範囲のなかで生きるのは親孝行とは呼ばない・・・。自分の道を歩むために親のすねは遠慮なくかじって、親を超えるまでに成長しなさい。

彼はその趣旨だったのか、私たちに色々な体験をさせてくれた。
プライベートな時間を惜しみなく費やし、それにかかる費用もすべて彼が出してくれた。
「私も、若いときは年上の先輩たちからこうしていろいろな恩恵を受けた。君たちは遠慮なんかしなくていいんです。若いときは充分に社会に甘えなさい。」と言ってくれたのを覚えている。

その恩恵か?「4人の魔女」は誰一人卒業後普通に就職しなかった・・・。笑
るりちゃんとは、私たちってバブル期の恩恵を受けてないよね〜 と話したりするのだが。

いま、ひとりは建築家になって設計事務所を持っている。
ひとりはアパレルの企画会社を経営し世界を飛び回っているし。
あ、こうしてみると4人とも一応みんな女社長 やってるわけね。
それぞれ紆余曲折があったし、もちろんいまも(いつも)途上中だけど・・・。

さて。その4人の魔女のひとり・るりちゃんとの縁はそのへんが出所になっているわけです。
るりちゃんは宮崎から大学進学のために東京に来ていたのだけど、卒業後も東京で出版社に就職し ライターや記者をやっていた。でもその後ディズニー好きが高じてディズニーランドに転職。 そこでの活躍が目に留まって、宮崎のシーガイアリゾート開発時に引き抜かれたため、 再び故郷である宮崎に戻った。
(そのおかげで、いまシェラトンシーガイアでのコースが実現しているわけです)

ワイオピピというお店を始めたのはやはりハワイからのインスピレーションなどがあったらしいが あとは詳しくは本人から聞いてください。
人生に物語あり!です。





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