内なる赤

前回にエッセイを更新してから、ずいぶん間が空いてしまった。
あっというまに年も越してしまったよ。
みなさま、遅ればせながら あけましておめでとうございます。

ふう・・何から書いたら良いものか。
夏休みの最後の日に、1ヶ月分のお天気記録とともに毎日日記を書きなさいという宿題が あったことを思い出して呆然としている小学生のような気分。
夢中で過ごした1ヶ月を振り返って1日1日何があったか書くなんて無理よ〜と毎年思っていた記憶 (最後の1日で全部やるタイプの子供だったんです)。

間が空いたって言ったって、たかだか1ヶ月くらいのものなのだけれど、 こうして、振り返ってみるといろんなことがあった。

本当は、前回までに書いた宮崎@、Aと続けて、 宮崎の神話や古代の日本史みたいなことをひもといて行きたいと思っていた。
なぜなら、前回までに書いた部分で体験したことが いろんな形で、自分に語りかけてきたことと、かの地の神話や伝説が関連していたという 発見が大きかったこと、それによって自分の意識が少しずつ変わってきたということがあったから。が、いざ書こうとして、ひとまずあらためてもう一度そこらへんのことを調べようと思って、 本を読んだりし始めたら、はまっちゃって・・・入力一筋になってしまったのでした。
まだ出力するには整理が必要というか。 
・・・で、今日に至ります(途中休憩ってことにしてください)

☆☆☆


津波の夢を見た。
「5メートルの津波」が押し寄せてくるヴィジョン。
夢から覚めながら、「こんな津波が来たら、どうやって子供を守りながら助かればいいのだろう?」と思っていた。いつもどおり、朝起きてからも、大きな津波が押し寄せてくるそのヴィジョンの迫力が身体に残っていて、しばらくそのことを考えていた。
翌日、津波のニュースを見たときに驚いた。
自分の夢の映像なのかと思った。

あの夢は予知だったのか?
自覚が全くなかった。過去生的な記憶が夢になってよみがえったのかな?っていうくらいのこと。

悲惨な被害を伝えるニュースのなかに、 水牛や、象や、野生の動物たちはことごとく、その直前に何かを察知して 逃げていたという話も耳にした。野生動物の保護区でも、人の遺体の膨大さに比較し、 動物の死骸がほとんど見つからないことに現地の人が驚いているということなど。
最近、「動物」に興味があったので(ペット的にというより、動物たちの智慧そのものに) 動物園まで行って、動物を観察したりしていたので、 そのニュースはとても興味深かった。

天変地異を察知することができる動物たち。
人間もそもそも 動物ではなかったのか?
動物のときに持っていたはずの本能を、なぜここまで失ってしまったのだろうか?

わたしの「夢」はもしかしたらその名残だったのかもしれないとも思った。
わたしも夢で見たとはいえ、危険だと感じたわけでもないし、 予知だという自覚もまったくなかった。それは実用性のない偶然の夢というレベルでしかない。でも、なにかの「片鱗」ではあったのかもしれないと感じた。
きっと私たちのなかにも、動物たちの持つ、直感が眠っているはずなのではないか?
そんなことも思った。


年末年始はレベル3のコースをしていたので横浜の シャスタで過ごしていた。
初日から雪で始まった。
コースのなか日、 わたしは大きな感情の爆発を見た。
自分のなかの巨大な赤の力。その生命力と破壊力。
自分のなかに、こんなに激しい破壊力があるのだ ・・・と客観的に感動するとともに、 自分のなかにあるレッド(情熱であり愛であり、目覚めであり、アクションの力であり・・・)を 気づいて出してあげることは、本当に大切なことであり、 それができないときに人は自分を破壊し始めるのだ・・という体験を 自らを通して感じた。
けっこうしんどかったけど、ここ数年「自分を見る」ことのコツをトレーニングしてきたことが なんとなく役に立ってくれた気がする。乗り切った。
乗り切ったら、すごく楽になっていた。
6日目、卒業式を終えて、打ち上げのために外に出たら、ほんのすこしだけ、 ちらちらと白い雪が夜空に舞っていた。
祝福のようにはらはらっと落ちてきて、そしてすぐに止んでしまった。


コースが終わった数日後、四国から連絡があった。
叔母(母の姉)の死だった。
風邪からひどくなった肺炎が原因で昨年から療養中だったのだけれど、新年になって急変したらしい。病院経営の仕事をばりばりとこなし、3人の子供を育て、ゴルフも英会話も人並み以上だった活動的でかっこいい叔母さんだった。 とても忙しい人だったのだけれど、2年前、岡部さんとヒナを連れて父に会いに帰ったときには、わざわざ時間を割いて、美味しいうどん屋さんに招いてご馳走してくれた。それが、最後になってしまった。
(そういえばその日は、103番のボトルが誕生した日だった。)
とても元気そうで、いつもとまったく変わらない姿がありありと残っている。

人の身体はとても繊細だ。
「生」と「死」は 本当に一枚の薄布よりかすかなもので分けられているだけなのだ。
「生」は「死」の対極なのではない。ふたつがひとつになって私たちを作っている。

「生」は「死」を強め、「死」は「生」を強める。・・・・
「生」と「死」を分けるものはそんなに確固たるものではないように見える。

でも、ここにある「生」のエネルギーは凄くパワフルだ。
熱くて、大きくて、動いている。胸は鼓動し、呼吸は循環する。
亡くなった人の身体は冷たい。冷たくて、静かだ。
隔てているものは、紙一重なのに、違いはとても大きい。
その違いを作り出しているもののひとつ、私たちの身体という宇宙の精妙な働き。
これがひとつ狂ったとしても、それは時には「死」に至らせる。
「生」が強ければ強いほど、「死」の力も強い。
同じだ。


死に向かい合い、悲しみを味わい、変容に立会い嘆き、 そのなかで、「生」の強さを受け取った。
そういう経験だった。

家族や親戚との再会。血縁という縁。
血(レッド)の繋がり。
そこから私は影響をほとんど受けていない気分で居た。
どちらかといえば、親戚や家族の生き方とは違う世界や価値観で生きている気でいたから。
そう信じ込んでいた。
でも・・・。
今回気づいた。
わたしのその根っこのところに、しっかりと彼らと共有するものがある。
そうか、レッドだもんな、根っこ(ルーツ)なんだよね。
所詮、このルーツの上に私は生を受けて生きてきていたのでした。
当たり前のことなのなのだけれど。

昨年の10月に104番が生まれ、
そして11月の末ごろにそのボトルが手元に届き・・
地球にもいろんなことがあった。


大天使カマエル。
ピンクに虹色がかかっている。
下の層にあるのは、ソウルスター(第8チャクラ)の色である美しいマジェンタ。
根のレッドに、精妙な紫の光が注がれる。
下と上が出遭ったところにある色。
わたしたちの天の源と、地の源の融合。

このなかにはたくさんのレッドがある。
レッド・私たちのなかの血の色。
大地の鉄の色。地球の内部の色。
生命と誕生、肉体と物質界。
そこに注がれた虹色と天の青。

とても美しいボトル・・そしてその背後には「生きる力と喜び」がある。
そして「再生」のメッセージが。

大きな地震は地球のなかの「レッド」の動き。
きっとそれと繋がって、自分のなかのレッドも動いているのだろう。
それを感じる・・・・。

続く 戻る




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