ナディア誕生前夜
19歳のとき、友人と一緒に初めての海外旅行でハワイに来たわたしは、
10日ほどの旅行中、ワイキキのあるオアフ島以外の島も見てみたいと思い、
日帰りトリップでマウイ島を選びました。
そして忘れられない体験をしたのです。
「地球上に、こんな場所があったんだ」
それは19歳のわたしにとって、衝撃的な出来事でした。
「生きる場所を人間が選べるのだとしたら、わたしはここで生きる」
「いつかここに、暮らすために戻ってくる!」
なぜか、瞬間的に、そう感じ、決意したのです。
その方法も、やり方もなにもわからなかった。
人生経験もなく、スキルもなにもなく、それは無謀で、なんの根拠もない決意でした。
でも、それがいまここにつながっているのだと思います。
『生きる場所も含めて、人間は、人生を選択して創造できる』
この島はそれをわたしに教えてくれたのです。
『Maui Magic』
人々は時々そう表現します。
いたずら好きのトリックスターマウイという神の力がはたらく
不思議の島。
わたしにいつも大いなるインスピレーションを与えてくれるこの島で、
暮らすようなマウイを体験してほしい。
そんなふうに、ナディア村は誕生しました。
しまいゆみこ
約束された土地、ラアケアのストーリー
19歳のハワイ旅行から時は経ち、1994年に横浜にオープンした地球雑貨ナディア。オープン当初から素敵な出会いの輪が拡がっていました。
ある日、「ナディアママとゆみこがナビゲートして、参加型のワークショップをスタートする」というヴィジョンが生まれました。その呼びかけ文を考えているときに浮かんだのが「ナディア村構想のためのラアケアスタートします」という言葉でした。「いつかハワイに、食住を共にできるリトリートセンターができる。このワークショップはそこに繋がるものになる…」そう感じたのです。
10年後、マウイへの移住が叶い、初めて開催されたマウイ島でのオーラソーマコース最終日の朝に不思議なことを体験しました。「この道を曲がりなさい。こっちへこっちへ」と呼びかけられるような気がしていつも通らない道を進みました。そこには楽園のように美しい風景が広がり、清々しい風が吹いていました。車を降りたとき見上げた場所にあったのが、その地名のかかれた標識でした。「ラアケア・プレイス0番地」。
そしていまそこにナディア村はあります。ナディア当初からこの場所はわたしたちと約束をしていたのかもしれません。ラアケアはハワイ語で「白い光」を意味します。癒しと気づきのまばゆい光に祝福された場所なのです。
ナディア村からの便り
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